あの日から7年。 福島旅行レポート 南相馬〜いわき 2017.8.14〜15

2018.03.11 Sunday

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    2011年3月11日。

    あの時まだ愛知県民だった私は、大学受験を終え、友人と遊ぶ約束を取り付け、大須の町へ遊びに行っていました。

    その帰り、地下鉄に乗っていた私は、乗り物酔いをするほうでもないのになぜか酔ってしまい、不思議に思っていると地下鉄が最寄り駅で緊急停車。「地震のため少々停車いたします」とのアナウンスを聞き、その時はふーんくらいにしか思っていませんでした。

     

    家に帰り、テレビを見ると衝撃的な映像が繰り返し流れていました。

    アメリカであった「同時多発テロ事件」の時のように、およそ現実のものとは思えないような凄惨な映像の数々が繰り返し報道されていましたが、正直に言えば、震度3程度の揺れしか感じなかった私にとっては、他人事だったなあと記憶しております。

    自分自身に関係があった話があるとすれば、関東方面へ行った国公立大学の後期受験組の同級生たちが、帰るのに非常に苦労したという話を聞いたくらいで、自分の生活にはあまり影響はなかったのです。

     

    そんなこんなで、無関心というほどではありませんでしたが、現実感を感じられていなかった私。

    いつか、被災地の現場をこの目で見てみたい。とずっと考えており、ようやくその機会を得られたのが昨年の夏でした。

    折角ですので、その時の感想を記事にしてみようかなと思います。

     

     

    8月14日、友人に誘われ、4人で磐梯吾妻スカイラインにドライブしに行き、そのうちの1人と、福島の太平洋側へ向かいました。

    目的地は南相馬市小高区にある、「双葉屋旅館」。震災から5年後の2016年に避難指示が解除された場所で、また人々が戻ってきてから1年と少ししか経過していません。

    http://odaka-futabaya.com/

    ↑気になる方はホームページへどうぞ。

    なぜか正面の写真を撮り忘れた… 先に見える建物は小高駅です。

     

    常磐線小高駅から徒歩3分ほどのところにある旅館で、震災後にリフォームしたため中は非常にきれい。建て替えたというわけではないようです。

    着いたのは午後8時前。随分と遅くなってしまったなあと思いましたが、とりあえずチェックイン。

    晩飯がまだだったので、旅館のおばちゃんに「どっか飯食うとこないですかね?」と聞くと…

    「ええ?!晩御飯食べてないの!?この辺何もないよ!?」と言われ、無計画で来てしまったことを後悔していると、「今から職員がご飯食べるからそれでいいなら食べてきな!」と助けていただき、

    こんな素敵なごはんが…食べられました…ほんと良かった…旅行来て晩飯抜きになるところだった…

    瓶ビールを1人1本注文して¥2000。旅館ごはんとしては破格…ありがとう…。

    職員の方々と一緒に食べましたが、職員の方々と少しお話しできたのも良かったですね。

     

    部屋は1部屋取ったつもりが、1人1部屋でした(笑)。4畳半くらいの狭い部屋だったので2人だと少々窮屈かな?と思いましたが向こうの方の配慮でしょうか?有難い限りで、1人で広々と部屋を使えました。

    風呂は広かったですが、割と家庭的な感じでした(笑)。といっても、シャワーは4つあるし浴槽も3~4人くらいは入れそうだったので十分ですね!

     

    朝ごはん。旅館らしい優しい朝食でしたね。

    この日の予定を何も決めていなかったのですが、朝ごはん中に旅館の人から震災当時の話とか帰ってきた後の話とかいろいろ聞けたうえ、今から行ったらいいところとかも教えてもらえて、何か何までお世話になりました…。

     

    至れり尽くせりの「双葉屋旅館」でしたが、2食付きで¥6400でした。人情味あふれる、とても良いところでしたよ。

    僕らのほかには、お盆ということもあって被災して今はほかのところに住んでいらっしゃる方が中心だったような気がします。

     

     

    15日は以下の場所へ。

    ・おだかぷらっとほーむ

    ・南相馬消防署

    ・道の駅 南相馬

    ・浪江駅

    ・浪江町沿岸部

    ・国道6号線(駐停車・本線外立ち入り禁止区域 浪江〜富岡)

     

    旅館を出てまず初めに行ったのは「おだかぷらっとほーむ」。

    こちらは南相馬市小高地区に住む人、訪れた人などが交流するスペースで、とりあえず行けばここら辺のことが分かるよ、と勧められた場所でした。

    正直コミュニティスペースというものは私のような年代の人間にはなかなか敷居の高いもので、少しためらう気持ちもありましたが、今回は同行者もいたので行ってみました。

    http://www.pref-f-svc.org/archives/9457

    ↑詳しくはこちら。

    恐る恐る中へ入ると、中にいた数名の方々が気さくに迎え入れてくれました。どこから来たのだとか、何しに来たのだとかいろいろ聞かれ、まあ大したことも答えられませんでしたが、こちらが何か少し聞いてみたりすると、震災当時の話だとか避難中の話とか、本当に色々な話を気兼ねなくしてくれました。お茶とかお菓子とか出してもらって本当に温かい雰囲気でした(笑)。

    余談ですが今回は私(愛知県出身)ともう一人(広島県出身)の2人で行ったのですが、広島は土砂災害のあった後から相互交流が盛んで割とよく訪れる人がいたよう。愛知県民もなぜだかわからないけど多いような気がするとの話でした。

    どんな話が聞けるのかは、行って確かめてみてください。きっとここにいる人たちは温かく迎えてくれます。

     

    1時間半くらい、色々お話をさせてもらって、小高区を少々歩いた後にこの街を出ました。

    避難指示が解除されたとはいえ、戻ってきた人は半分どころか、1/4にも満たないとのことでしたが、ここでお会いした人々は震災を乗り越えて、力強く生きているんだなと肌で感じることができました。

    しかし、町はまだ復興途上で、震災前から手付かずの箇所もたくさんありました。それも隣の浪江に比べれば大分進んでいるほうだとのこと。復興はまだまだ進んでいないということも、同時に感じました。

    何気なく撮ったものですが、だだっ広い空き地に残された門。こういう異質な構造物も、一度壊れた街だということを語っているような気もします。

     

     

    それから、少し北上して南相馬市の中心部へ。目的地は「南相馬消防・防災センター」。かの震災で大打撃を受け、その後再建され、南相馬の消防・防災の中心を担っている場所です。それと同時に、東日本大震災に関する展示物があります。

    展示物は震災被害についての時系列がまとめられていたり、写真が展示されていましたが何よりも印象に残っているのはこれ。

    2階の高さを優に超える、柱に刻まれた「津波の高さ」。

    9.3mという、想像を絶する高さの波が、海から約3.5キロはなれたこの場所に押し寄せてきた。

    それが、ここで一番記憶に残っています。

    ここは言ってしまえば消防署の中で、観光地でも何でもなく、お盆だというのに、お盆だからこそ中には僕ら2人くらいしかいませんでした。惨劇を目の当たりにするには、丁度いい環境だったのかもしれません。

     

     

    その後、すぐ近くにある「道の駅 南相馬」へ。

    こちらはこれまでの場所とは打って変わってたくさんの人でにぎわっていました。

    そこそこの広さの土産屋、レストランがあり、イベントも行われているよう。

    駐車場も結構広いですが、すぐには止められないほど混雑しており、勢いを感じることができます。

    今まであまりお金を使う機会がなかったので、ここで使ってしまえとお土産をたくさん買い込みました。折角来たのでお金落としていかないと…。

    ちょっとした展示スペースもあり、南相馬周辺の観光スポット紹介や震災についての展示も少しありました。

     

    そのあとは再び南下。

    2017年3月31日の避難指示解除から間もない、浪江町へ。

    浪江駅前。信号は錆びきっており、この7年間手が付けられていないんだなとしみじみ…。

    車で通りぬけてきた町並みは、半分廃墟みたいなもので、凄惨な状況はまだまだ改善されていない様子でした。。。

    人の姿も全くと言っていいほど無く、活気は皆無でした。

     

    浪江駅には線量計が設置されています。線量計が示す数値は「0.35μSv/h」。

    これはその辺の都市の10〜20倍程度の線量。統計的にこの数値が健康に及ぼす影響はさほどないということは分かっているのですが、まず、駅に線量計が置いてあること自体で尻込みしてしまいました。

    この駅は2017.8.15当時は終点だったので、写真のように線路をふさぐような形で通路が設置されていました。この世追うな光景も中々見れるものではないですね…。

    ここにも人の姿はほぼなく、終着駅であるものの、列車の走らない線路と共に、寂しい雰囲気でした。

     

    代行バス乗り場。人の姿はありません。

     

    駅は本当に何もなく、ひとしきり見渡し、歩いただけでした。

    早々に駅を出て、太平洋側まで車を走らせてみましたが、あるのは廃屋と産廃処理場のようなものばかりで、避難指示解除から5ヵ月という月日が経ってはいたものの、殆ど手付かずのような印象を受けました…。

     

     

    浪江では本当に何もできませんでした。震災から6年半が経過していた当時でも、まだ全然じゃないか…と驚くとともに、こういった場所には今後も支援が必要なのだなと再確認。記憶は薄れていくものですが、忘れてはいけませんね。何かの機会に私も微力ながら支援出来たらなと思います。

     

     

    浪江を後にし、国道6号線を使ってさらに南へ。

    すぐに駐停車禁止・下車禁止になります。そこには交差点ごとに脇道にバリケードが設置され、福島第一原子力発電所に向かう道などには厳重な装備の警備員の方が立っていました。

    国道沿いは放射能で黒変した植物や、中を荒らされた痕がそのままになっているコンビニエンスストアなど、津波と原発事故の影響を色濃く残しています。建物などは、すべてあの時のままです。

    そして国道にも線量計が設置してあり、最大で1.5μSv/hほどの線量が表示されていました。近づくことすらままならない現場。一刻も早い解決が望まれます…。

    廃業してそのままのガソリンスタンド。良い写真がなかった…。

    車で走れば20分と少しくらいの距離。あっという間でしたが、衝撃の数々でした。

    おそらく、国道6号浪江〜富岡間の制限措置は当分続くでしょう。この区間は本当に、時が止まったままでした。

     

    富岡以南も震災の爪痕はありましたが、今回見たかった場所は双葉町までだったので何だかぼんやりと通り過ぎてしまいました。

    ちょっともったいないことをした気もしますが、衝撃の数々で随分と疲れてしまった覚えもあります。

     

     

     

    6年越しの望みがようやくかなえられたこの旅行でしたが、地震、津波の恐ろしさを少しだけでも知ることができてよかったなと思います。

    今回行った南相馬市・浪江町・双葉町の復興度合いは様々で、まだまだこれからのところもたくさんあります。しかし、泊まった「双葉屋旅館」や「おだかぷらっとほーむ」の方々のように大災害を乗り越え、またこの地で頑張ろうとしている人もたくさんいます。

    浪江や双葉町は本当に酷い有様で、言葉を失いましたがいつか自分が住む場所もこうなるかもしれない、と肝に銘じておきたいと思います。今後の復興を願うばかりです…。

    自分にできることなんて何もありませんが、もし、自分の住む場所に地震が来て、自分が動けるのなら、全力で立ち向かいたいと思います。そのためにも、準備をしっかりしておかなければなと思います。

    大したことは書けませんでしたが、本当に、行って良かった。

     

     

    また、今回の旅に同行してくれた友人にも感謝が尽きません。いつもいつも、私は人に助けられています。

    自分も誰かを助けられる人間になりたいものです。

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    2019.06.12 Wednesday

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